12月17日

書くかどうか迷ったんですけど
書く意味はあるだろうと思ったので
書いてみます。



先月の下旬、黒いスーツに黒いネクタイをして新幹線に乗って
2歳下の親戚に最後の挨拶をしに行ってきました。


 母からの電話で
「事故でも病気でもない」と 聞いた時は絶句して二の句が告げず、
それ以降はずっと大きな鉛が腹の底に溜まっているような気分でいました。


おじさんおばさんがどれくらい辛いのだろうかと思うとやりきれなくて
僕自身一体何を思っていいのか、決着というか、落としどころが何一つなくて
楽しいものを観たり、楽しいことをしたりすると、よぎり、
琴線に触れてくるようなものを見聞きすると、涙が出て
たまに、ほんとうに分けがわからないのに涙が出て来て、びっくりしたりします。


以前から
年間3万人いるというのはニュースで知っていたし、
そうするとその周りの親族・友人など数十万人くらいの人たちが
重い闇を持ちながら毎日普通に暮らしているのかと思うと
なんて辛いことだろうか、と思っていましたが、
いざ自分が同じ立場に立つと、まあ、やりきれないですね。。。




***




今から6、7年前は今よりももっと世の中には閉塞感があって(僕が麻痺しているだけかもしれませんが)
「こんなに暗く世知辛い世の中に何か新しいモノを作り出すなら
“明るいもの”であるべきだ」
という考えが僕にはあって
それで、自分の中にはそんなになかった“明るいもの”をイラストにして
イラストレーターという仕事を始めました。


不思議なもので明るいものを描いていると
自分自身が前向きにポジティブになってきたんですけど、
同時に、この「明るい健全さ」は、闇を持って生きている人にとっては「うざい」ものかもしれないとも思い始めました。




明るく健全な生き方こそが正しくて幸福である、というメッセージは
そうではない人にとっては腹立たしく怒りさえ覚えるかも知れないし、
腹を立てる元気もない人はさらにどんよりするだけかも知れないです。

だから、
その心の闇に寄り添ってくれるようなモノの必要性もいまはものすごく感じています。

退廃的だったり、血が流れてたり、包帯巻かれてたり、
内臓がこぼれていたりするようなキャラクターが
この世に存在して、常に新しく作られることによって
 「こういうものが好きな自分」ってのを肯定して愛せるのでしょう。


 僕はキャラクターグッズというものに全く興味がないので
それを収集する気持ちがわからないのですが
「自分自身のある一部分を具現化して一般化して、自分を肯定するため」だと思っているのですが、どうでしょう。




***


つまり、
大げさだし、悲劇の主人公ぶっているようでイヤなんですが
もしかしたら僕自身が年間3万人の遠因になっているんじゃないかと思っています。
今回の件がなくても前々からこういう風には考えていました。

そうでなくても今回の件に関しては、もしかしたらを思うところがあるので
ちょっと辛いのですが。



***



僕自身、会社勤めをしていたとき、イジメっぽい感じで追いつめられて
窓から飛び降りようと思ったことがありましたが
友達に(結果的に)止めてもらえたから、いまこうして偶然生きているだけで、
ボーダーラインにいたことはあったし、

そのあとも鬱っぽい状態になって会社を辞めてますので
「心の闇」と言うことで言えば、僕も体験をしています。


だから、先月僕が最後の挨拶をした親戚の男の子と僕は何にも変わらない。
全くおんなじで、なにか少しのことで、僕はこうしているだけなんです。



***



今回の件に関してこれからどう思って生きて行けばいいのか、
 さすがにまだ何にもわかりませんが、

もし彼がたまに僕のところに来てくれて
僕が描いているイラストを楽しんで見てくれたり、
たまに大きな仕事をした時には自分のこととして喜んでくれるように
がんばりたいな〜と思っています。