東京国立近代美術館でやってる『パウル・クレー展 —おわらないアトリエ』に行ってきました。
九段下駅から歩くとちょっと疲れますね。
今日は涼しかったからまだいいけど。
***
僕は大学3年の後半になって、「やっぱ絵っぽい仕事したい」と思って
「絵っぽいことやるならせめてひとりくらい好きな画家がいなくては」とも思って
大学の図書館で美術本を借りてバンバンとページをめくっていました。
まず「こいつ好きだ」と思ったのがターナー。
いま見るとものすごく映画的な絵ですね。
そんで次に「こいつも好きだ」と思ったのがクレー。
それ以来、ターナーはちょっと離れてしまいましたが
クレーはずっと好きです。
キャッチボールができそうな親しみやすさがあるからかな。
***
『パウル・クレー展 —おわらないアトリエ』では
下書き(?)と完成品を並べて展示しているコーナーもありまして
とても興味深かったです。
クレーは線画も得意ですから
鉛筆で描いた下書きも芸術になっているのかと思いきや、やっぱ下書きであって
となりに飾ってある完成品を見るとやっぱ「こっちが終着点!」って思えます。
やっぱり絵っていうのは「完成」があるものなのだなと思いました。
完成があるってことは、「途中」もあるし、「間違い」もあるんですよね。
締め切りが来たっていうことだけじゃなく、「よし、完成だ!」と確信できる絵を描きたいなあ。
***
クレー展の他にも「所蔵展」もやってまして
近代芸術家の作品がずらっと並んでまして、それもかなり面白かったです。
こっちにもクレーの作品が6点くらいありました。
こっちにはお客さんすごく少ないのでゆっくりクレーを見れましたよ。
あと、日本の近代芸術家による彫像もありまして、
それは彫像は、
真っ裸の女性が両膝を土につけて、
顔が後ろ向いちゃうくらいに思いっきり上半身をのけぞらせて
羞恥心をかなぐり捨てて私、芸術にすべてを捧げていますみたいなポーズをとっていたんですけど、
その作品タイトルが「曇り」って名付けられていたので、ちょっとかわいそすぎると思いました。
あんな、親に言えないようなポーズをとらされたあげく「曇り」なんてどんよりしたタイトルつけられた日にゃ、
それこそ真っ裸でのけぞりたくなりますよ。
ね。
九段下駅から歩くとちょっと疲れますね。
今日は涼しかったからまだいいけど。
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僕は大学3年の後半になって、「やっぱ絵っぽい仕事したい」と思って
「絵っぽいことやるならせめてひとりくらい好きな画家がいなくては」とも思って
大学の図書館で美術本を借りてバンバンとページをめくっていました。
まず「こいつ好きだ」と思ったのがターナー。
いま見るとものすごく映画的な絵ですね。
そんで次に「こいつも好きだ」と思ったのがクレー。
それ以来、ターナーはちょっと離れてしまいましたが
クレーはずっと好きです。
キャッチボールができそうな親しみやすさがあるからかな。
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『パウル・クレー展 —おわらないアトリエ』では
下書き(?)と完成品を並べて展示しているコーナーもありまして
とても興味深かったです。
クレーは線画も得意ですから
鉛筆で描いた下書きも芸術になっているのかと思いきや、やっぱ下書きであって
となりに飾ってある完成品を見るとやっぱ「こっちが終着点!」って思えます。
やっぱり絵っていうのは「完成」があるものなのだなと思いました。
完成があるってことは、「途中」もあるし、「間違い」もあるんですよね。
締め切りが来たっていうことだけじゃなく、「よし、完成だ!」と確信できる絵を描きたいなあ。
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クレー展の他にも「所蔵展」もやってまして
近代芸術家の作品がずらっと並んでまして、それもかなり面白かったです。
こっちにもクレーの作品が6点くらいありました。
こっちにはお客さんすごく少ないのでゆっくりクレーを見れましたよ。
あと、日本の近代芸術家による彫像もありまして、
それは彫像は、
真っ裸の女性が両膝を土につけて、
顔が後ろ向いちゃうくらいに思いっきり上半身をのけぞらせて
羞恥心をかなぐり捨てて私、芸術にすべてを捧げていますみたいなポーズをとっていたんですけど、
その作品タイトルが「曇り」って名付けられていたので、ちょっとかわいそすぎると思いました。
あんな、親に言えないようなポーズをとらされたあげく「曇り」なんてどんよりしたタイトルつけられた日にゃ、
それこそ真っ裸でのけぞりたくなりますよ。
ね。