8月2日 こわいこと

いまでもふと思い出すのは
仙台市の荒浜に向かう車の中のラジオの音量です。

このときの話ですけどね。



ボランティアセンターのスタッフさんが運転席と助手席に、
僕は後部座席に座ってまして、
ラジオが結構な音量でなっていたので
前の席の2人に話しかけられても声を聞き取るのが難しい状況でした。

なので、「ラジオ切ってもらってもいいですかね」と遠慮しつつ言ったら
「いつ津波警報鳴るかわからないんで…」と答えられました。

またいつ地震や津波が来るかわからなくて
早く正確に逃げるために、ラジオをつけっぱなしにしていたんです。
(それにしても必要の2倍くらいの音量でした。それだけ恐怖が大きいんだと思いました。)


津波被害の拡大を食い止めた東部道路こえるときも
「ここから先は何かあったらすぐに逃げますから」と言われました。
ほんとうに怖がっているようでした。


ぼくなんかノンキなもので
いくら「気を引き締めないと」と思っても
心のどこかでは「こんなタイミングで地震来ないでしょう」とか
「車あるんだし逃げられるでしょう」と思っていました。


でも、いま思えば
道路にはすでに亀裂が入っている箇所も多かったですし
また大きな地震が起きてその亀裂に車がはまってしまったり、
たんぼにタイヤが落ちてしまったりしただけでもう
そこから走って逃げるしかない状態でした。



果たして、地震でケガをしてしまったかもしれない状態で
余震が続いて道路にも亀裂が入っているなかで
津波到達までの数分間のうちに数キロ先の高台まで
走って逃げることができたのかと思うと
いまさらながら怖いです。





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被災地に直接行ってみなくても
テレビ・新聞やインターネットで調べようと思えばいくらでも情報は手に入るし
被災地で頑張っている人たちの気持ちや生き方、人生の背景なども
コチラで丁寧に紹介されています。

実際に現地に入らなくても、被災地に近づく努力をすればいくらでも近づけると思います。



ただ、肌で感じた記憶ってのはいつまでも残るし、
やっぱりあのラジオの音量で、平穏な町から来た僕と被災地で暮らす人との差をものすごく感じて
「怖い」っていうのがどういうことなのか、たった一抹でしょうけど、脳に刻むことができた気がします。


あんなに音量大きくなくても、
普通に会話をするのに支障がないくらいに音量小さくすることもできただろうに、
耳いっぱいになるくらいの音量にしていないと海岸には近づけないほどだったんですね。

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