2日目は、秋祭りの手伝いをしました。
これは、民間借り上げ住宅に住む人たちで作られた◯◯会(名前書いていいかどうかわかんないので伏せときます)の秋祭りです。
公民館のちいさなホールでやります。
子どもからお年寄りまで50人くらいいたかな〜。
仕切っているのはteam若ボラ さん。
******
おにぎり、やきそば、芋煮、たこ焼き、焼き鳥、ビール、ジュース、お茶などをボランティアスタッフが作って提供します。
午後は、リュート弾きのおじさんの演奏や、ギター弾き語りで青春の甘酸っぱさを歌う青年や、◯◯会の有志が仮装してAKBを歌い踊ったりする音楽会が開かれました。
写真タイトル「逆光で米を握る女たち」 。
大量の食事を作らなきゃいけないけど、物資と電力の不足でなかなか調理がうまく進みません。
進行も手順もへったくれもないので、誰もが手探りであれがないこれがないと走り回りながら、 美味しく食べてもらうため頑張るのです。
僕はやきそばを担当。ひたすら焼く。
電圧不足で、炊飯器がうまく作動せず、ご飯が美味しく炊けなくて、どうしようどうしようと涙をにじませる女性も現れたり、事件は調理室で起きていました。
全員が軽パニック状態でした。
そんなことを知らずに、みなさんには祭を楽しんでいただけていればほんとにうれしいんですが、たぶん我々スタッフの殺気はどうしても伝わってしまっていたでしょう。。
******
この秋祭りには、ふらいパンダさんも参加されていました。
こどもたちと一緒に直径90センチの巨大カステラを作る非営利団体です。
でかいフライパンと大量の調理器具と材料を持って、12人くらいの若者たちがやってきました。
ふらいパンダさんは30回くらいやられているので、もうそれはそれは手慣れたものです。
こどもたちと一緒にカステラを料理して、時間があったらとなりの公園でこどもたちとドロケーやって。
僕は「ちゃんと準備できてるっていいなあ〜」と羨望のまなざしで、ふらいパンダさんの動きを見ていました。
しかもカステラ美味しかったし。
*****
秋祭りは無事終わりまして、ふらいパンダさんの車に乗せてもらって、荒浜に行きました。
荒浜地区というと、海のそばの町です。
↓震災前の荒浜地区の空撮。
海水浴場もあり、住宅が密集していますね。
↓そして、震災後の空撮。
実は僕はこれを書くにあたって初めて荒浜の震災の前の写真を見ました。
「こんなに家があったんだ」とびっくりしました。ちょっと手が震えます。
荒浜には去年の震災後にも1回行って、今回で生で町を見るのは2回目なんですけど、こんなに家があったなんてまったく思ってませんでした。
話には聞いてましたけど、こんなに普通の住宅街のようにあるなんてまったく思えませんでした。
こちらの日記を読むと被害状況がわかりやすいですね。
これは去年の12月に書かれたようです。
荒浜小学校の校庭に集められたバイクは、今もありました。
荒浜小の体育館も紙のようにグシャッと崩れたままでした。
今回僕は行ったのはもう夕方になっていました。
すぐ後ろが海という状態で陸地側を撮った写真です。
奥の方で光ってる街灯は東部道路あたりです。
海から東部道路までは3キロくらい。
3キロというと新宿駅から渋谷駅までの距離と同じくらい。
その間がまっくらですね。
東部道路は海岸線に平行に走る高速道路で、
盛り土がしてあって高さはたぶん3メートルか4メートルくらいあったかと思います。
それが防潮堤の役割をして、内陸への津波の浸水を抑えました。
それはよかったのですが、逆に東部道路にぶつかって跳ね返ってきた波(2度目の波)で
やられてしまった家も多かった。
という話を今回聞きました。
******
海岸に作られた慰霊碑に手を合わせ、ふらいパンダさんの車にまた乗せてもらいまして、仙台駅まで送ってもらいまして、家に帰りました。
ボランティアさんには東京から来ている人が多かったです。
関西弁もよく聞いたので、関西圏からもたくさん来ていたようです。
僕が1日目に一緒に作業した大気社さんは本社は新宿ですが、社員有志を集めて30人くらいでボランティアに来ていました。今回で3回目だそうです。
ボランティアのリーダーさんが「明日は高知の高校の野球部が来る」と言っていました。
僕はひとりで行ったので緊張も心配もしていましたが、思っていたより大変じゃなかったですし、暑苦しくなく「役に立ちたいです!」っていう人たちの中で動けるというのはとても気持ちがよかったです。
これは、民間借り上げ住宅に住む人たちで作られた◯◯会(名前書いていいかどうかわかんないので伏せときます)の秋祭りです。
公民館のちいさなホールでやります。
子どもからお年寄りまで50人くらいいたかな〜。
仕切っているのはteam若ボラ さん。
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おにぎり、やきそば、芋煮、たこ焼き、焼き鳥、ビール、ジュース、お茶などをボランティアスタッフが作って提供します。
午後は、リュート弾きのおじさんの演奏や、ギター弾き語りで青春の甘酸っぱさを歌う青年や、◯◯会の有志が仮装してAKBを歌い踊ったりする音楽会が開かれました。
写真タイトル「逆光で米を握る女たち」 。
大量の食事を作らなきゃいけないけど、物資と電力の不足でなかなか調理がうまく進みません。
進行も手順もへったくれもないので、誰もが手探りであれがないこれがないと走り回りながら、 美味しく食べてもらうため頑張るのです。
僕はやきそばを担当。ひたすら焼く。
電圧不足で、炊飯器がうまく作動せず、ご飯が美味しく炊けなくて、どうしようどうしようと涙をにじませる女性も現れたり、事件は調理室で起きていました。
全員が軽パニック状態でした。
そんなことを知らずに、みなさんには祭を楽しんでいただけていればほんとにうれしいんですが、たぶん我々スタッフの殺気はどうしても伝わってしまっていたでしょう。。
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この秋祭りには、ふらいパンダさんも参加されていました。
こどもたちと一緒に直径90センチの巨大カステラを作る非営利団体です。
でかいフライパンと大量の調理器具と材料を持って、12人くらいの若者たちがやってきました。
ふらいパンダさんは30回くらいやられているので、もうそれはそれは手慣れたものです。
こどもたちと一緒にカステラを料理して、時間があったらとなりの公園でこどもたちとドロケーやって。
僕は「ちゃんと準備できてるっていいなあ〜」と羨望のまなざしで、ふらいパンダさんの動きを見ていました。
しかもカステラ美味しかったし。
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秋祭りは無事終わりまして、ふらいパンダさんの車に乗せてもらって、荒浜に行きました。
荒浜地区というと、海のそばの町です。
↓震災前の荒浜地区の空撮。
海水浴場もあり、住宅が密集していますね。
↓そして、震災後の空撮。
実は僕はこれを書くにあたって初めて荒浜の震災の前の写真を見ました。
「こんなに家があったんだ」とびっくりしました。ちょっと手が震えます。
荒浜には去年の震災後にも1回行って、今回で生で町を見るのは2回目なんですけど、こんなに家があったなんてまったく思ってませんでした。
話には聞いてましたけど、こんなに普通の住宅街のようにあるなんてまったく思えませんでした。
こちらの日記を読むと被害状況がわかりやすいですね。
これは去年の12月に書かれたようです。
荒浜小学校の校庭に集められたバイクは、今もありました。
荒浜小の体育館も紙のようにグシャッと崩れたままでした。
今回僕は行ったのはもう夕方になっていました。
すぐ後ろが海という状態で陸地側を撮った写真です。
奥の方で光ってる街灯は東部道路あたりです。
海から東部道路までは3キロくらい。
3キロというと新宿駅から渋谷駅までの距離と同じくらい。
その間がまっくらですね。
東部道路は海岸線に平行に走る高速道路で、
盛り土がしてあって高さはたぶん3メートルか4メートルくらいあったかと思います。
それが防潮堤の役割をして、内陸への津波の浸水を抑えました。
それはよかったのですが、逆に東部道路にぶつかって跳ね返ってきた波(2度目の波)で
やられてしまった家も多かった。
という話を今回聞きました。
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海岸に作られた慰霊碑に手を合わせ、ふらいパンダさんの車にまた乗せてもらいまして、仙台駅まで送ってもらいまして、家に帰りました。
ボランティアさんには東京から来ている人が多かったです。
関西弁もよく聞いたので、関西圏からもたくさん来ていたようです。
僕が1日目に一緒に作業した大気社さんは本社は新宿ですが、社員有志を集めて30人くらいでボランティアに来ていました。今回で3回目だそうです。
ボランティアのリーダーさんが「明日は高知の高校の野球部が来る」と言っていました。
僕はひとりで行ったので緊張も心配もしていましたが、思っていたより大変じゃなかったですし、暑苦しくなく「役に立ちたいです!」っていう人たちの中で動けるというのはとても気持ちがよかったです。