6月10日 仙台に行きました1

→仙台に行きました2











仙台市津波災害ボランティアセンターのスタッフの大平さん(23歳)からの連絡をうけて
必要な物資などをとどける活動をしています。


「6月にぼくもボランティアとして入りますんで」と大平さんに伝えたところ
「 僕としては若林区の現状をフクイさんの見てもらいたいと思ってますのでボランティアとして参加してもらってもいいのですが若林区の荒浜地域に車でいきたいと考えています」とお返事が来ました。


もともと現場を見たい気持ちはつよくありました。
というのも「現場をみた人」と「現場をみてない人」に差が大きくある気がしていたからです。

このあとの人生も、あの光景を生で見たかどうかで変わると思っていたので
ボランティアをしながら現地のことをもっと知りたいと思っていました。





***




これからたぶんダラダラと書いて行くと思いますが、まずは大きく感じたことを2つ書きます。




●見ても同じ(百聞は一見にしかずじゃなかった)

仙台駅は予想以上に都会でビックリしたのですが
車で数キロ走って津波被害地区に入ると景色はいっぺんしました。

いままでテレビやブログなどで現地に入った人が
「言葉がない」「信じられない」とコメントをしてるのに対して
「もっとがんばれよ!言葉をひねりだせ」と思っていましたが

申し訳ないです。ほんとに、言葉がなかったです。

なににも置き換えられない景色でした。言葉を出したところで芝居じみていてむなしい。

デジカメで撮っても、画面で撮ったものを見ると、もう全然ちがう。どっかのブログでみた写真と同じ。



でもそれは
「言葉がない」「360度同じ景色」「映像でも写真でも伝わらない」っていうのは
知識として知っていたので
ほんとだったんだと裏付けされただけでした。


あ〜、うまく言えないなあ。。


現場にいるし目の前に広がった景色を見てるのに
まるで3D映画の中に入り込んだみたいに現実感がなくて、
逆に「なにも感じない」のと同じようでした。



だからテレビやwebで見る映像から受ける印象がそのまま正しいし、
現場を見た人の感想がほんとの実感なので
「現場を見た人」と「現場を見てない人」にはそんなに大きな差はないと感じました。


もともと、
「現場を見た人」と「現場を見てない人」に差があってはいけないと思っていました。


だって、日本のほとんどの人は「現場を見てない人」なわけですし
現場を見てないんだから津波について語ってはいけないみたいなルールもおかしいわけです。


津波が押し寄せてくるあのおそろしい映像で十分だと思います。
あの映像を見ただけで、全員がスクッと立ち上がらなければいけなかったんだと思います。
あれを見て、記憶していれば、現場を生で見なくても、熱はさましちゃいけないんだと思いました。






●東京でどんよりしてもほんとにむだ

仙台はほんと都会で、いまは普通に経済活動が行われているように見えました。

でも、自らも被災した人もたくさんいるだろうし、数キロ先まで津波がきたわけですから
そんな中で普通に生活する難しさは東京の人にはよくわかると思います。


ボランティアさんもボランティアセンターのスタッフさんたちも
毎日いろんな問題に憤りながらも明るく前を向いて頑張ってらっしゃいました。


東京で被災地のことを考えながらも普通に経済活動をする心の難しさは
たぶん被災地の方にはわかってもらえないんだと思います。
「とか言って、どうせロンハー見てゲラゲラ笑ってんでしょ」と言われれば
「その通りです。すいません」と謝るしかないんです。


だからこそ、東京でどんより暮らしたことろでなんの意味もないと思いました。
被災者さんの気持ちに寄り添っているつもりでも
それを行動にあらわさなければ、
「おれたちのこと忘れてるでしょ」と思われても仕方ないです。



どんよりを解消するために、被災地にむけて何か行動を起こして、
スッキリするならそれでいいと思います。


どうせまたどんよりはやってくるから、そしたらまた何かすればいいのでしょう。


自己満足で支援活動をするのはイヤだ!と思っている人ならば
その人の活動はけして自己満足にはならないと思います。

一度目の活動はもしかしたら自分の気持ちがつよすぎて自己満足に終わるかもしれないけど
次の活動は被災地の求める支援ができるかもしれない。



相手が求めるものを、相手が求めるかたちでおくることを念頭に置いていれば大丈夫です。



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