原爆投下8年後に製作された映画『ひろしま』第5回ベルリン国際映画祭長編映画賞受賞作









ひろしま(1953年製作の映画)製作国:日本
監督 関川秀雄
脚本 八木保太郎
出演者 岡田英次 原保美 加藤嘉 山田五十鈴 月丘夢路

◼️以下リンクから『ひろしま』を観ることができます

https://inoue-tsukioka.com/inoue-tsukioka-movie/hiroshima/
(一般財団法人 井上・月丘映画財団)

『ひろしま』に出演している月丘夢路氏の井上・月丘映画財団のサイトで『ひろしま』視聴ページが公開されています。

ぜひ!今!がんばって観ましょう!

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「昔の立派だった頃の日本を思い出すことは大変良いことだと思いますが、
そうした国民の中の感情に隠れて、
また誰かが戦争の準備をしているのではないでしょうか。」

by ご先祖様

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『オッペンハイマー』では広島の原爆投下の惨劇の描写がないorとても少なかったですね。

それには制作意図があって、それに納得する人もいれば、批判もあるとのこと。
もしも原爆の本当の恐ろしさが描かれていなくてその必要があるのであれば、それを補う映画を観ることで解消されるかもしれないし、
原爆を恐ろしさを知れ!と指を刺すのであれば、その指を自分に向けて「俺は知ってんのか」と問うことも大事かと。

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てことで、映画『ひろしま』観ました。

「原爆投下から7年後(1952年)の広島で映画制作が決定。翌年に撮影開始。

原爆が投下された直後の地獄絵図の映像化に精力を注ぎ、
百数カットに及ぶ撮影を費やして、
克明に阿鼻叫喚の原爆被災現場における救援所や太田川の惨状などの修羅場を再現した。
そして被爆者たちのその後の苦しみを描いた。」
(wikipediaより引用)

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この映画の存在は知っていましたが、観たら死ぬんじゃないかと思って手を出せずにいました。。
歳を取るのはいいこともあって、観たら死ぬ(ほどの衝撃を受ける)んじゃないかと思った映画を観ても今まで実際死ななかったという経験を経て、映画『ひろしま』観ました。
何がハードル高いって、メインビジュアルよ。。。

この衝撃。。
「感動とかに消費させねーからな!」という気迫の一枚。
それだけ説得力があるのには理由がありました。

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「同じ原作を元にした作品として新藤兼人監督・脚本の『原爆の子』がある。
当初、日教組と新藤の協力で映画制作が検討されたが、新藤の脚本は原作をドラマ風にかきかえてしまっていて原爆の真実の姿が伝わらないという理由で、日教組が反発。
結局両者は決裂し、別々に映画を制作した」
(wikipediaより引用)

新藤監督『原爆の子』を観ていないのでアレですが、実際に原爆を体験した方々が納得できるものではなかったんですね。

で、
「原爆投下を直接経験した者も少なくない広島市の中学・高校生、教職員、一般市民等
約8万8500人が手弁当のエキストラとして参加し、
逃げまどう被爆者の群集シーンに迫力を醸し出し」た、とのこと。

撮影場所は、広島市内外で24ヶ所、シークエンスは168に達した、と。
本気さが尋常の度合いではない。

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◼️映画表現として優れている傑作

「映画表現として優れている傑作」なんていう上から目線の客観的な評価をするのは大変おこがましすぎて苦しいんですが、
事実映画として素晴らしい出来だし、
この事実を知ったことでこの映画を観る人が増えるならば。。

けしてただただ原爆の悲惨さを資料的に描写しているだけではなく、
一人一人に爆撃を受ける前の人生があり
爆撃を受けた人にもそれぞれ名前があり、その名前を子供につけた親がおり、その子の名前を呼ぶ親の声があり、親を呼ぶ子の声があり、
それらがとても手際よく結構なスピードで描かれていきます。

戦中の軍部、そして敗戦から数年経って変わってしまった社会に対しての批判もあり、社会派の側面もあります。
しかも詩的であり、尚且つ臭くもない。
これがものすごく素晴らしい点。

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◼️3部構成

3部構成になってまして
1部は現代パート(当時)、
2部は1945年8月6日とそれ以降、
3部はまた現代パートに戻るという構成。


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◼️第1部 敗戦から数年後の高校

防空壕にいたりして直接爆撃を受けなかったが、その後の黒い雨などで被曝して、何年後かに原爆症と呼ばれた病気が発症する学生が多く出た。

そうかなるほどと思ったのは、
当時はテレビもないし、日本中が敗戦の焼け野原だった時に、原爆についてそもそも日本人がよく知らされていなかったんですね。
それは広島県内であっても。

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河野(高校生)「いつ原爆症に命を取られるかと思って毎日ビクビクして生きてるんだ。
そんなことをいえば君たちはすぐ「原爆を鼻にかけてる」とか「原爆に甘えてる」とか言って笑うんだ。」

教師「白状するがこの間ラジオで『0 (ゼロ) の暁』を聞いた後で、大場(女子生徒)があんなことになるまでは、原爆がここまで根深くみんなの体に食い込んでるとは知らなかったんだ。
原爆症のことは噂には聞いていた。
でもそんな人はアメリカのABCCが治療してくれていると思っていた。
ところが診察だけで治療はしていないということも2、3日前に知った程度なんだ。
広島に来て原爆のことを勉強しなかったっていうのは全く僕自身の怠慢で、その点諸君にはすまないと思う。」

※0 (ゼロ) の暁(https://ci.nii.ac.jp/ncid/BA46838624)

河野「先生だけじゃないんです。広島市民の大部分の人たちが知らないんです。
今新聞なんかでは、原爆と平和問題を結びつけて盛んに世界の人たちに呼びかけていますが、
僕は原爆の恐ろしさとあの非人道的なことを世界の人たちに叫ぶ前に、
まず日本人にわかってもらいたいんです。
いえ、それよりか広島の人たちに知ってもらいたい。」

河野「多くの人たちは醜いケロイドを隠して、まるで自分が悪いことでもしたように、こそこそと日陰で生活をしていたり、ケロイドを手拭いで包んで、道路工事の人夫になって働いていたりするのです」

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びっっくくりするのは「「原爆を鼻にかけてる」とか「原爆に甘えてる」とか言って笑うんだ。」ですね。。
現代日本でもいろんなトラウマや病気や被差別属性を持った人々に対して「鼻にかけてる」「甘えてる」という誹謗中傷する声はありますけど、、敗戦7年後でもこういう声があったとは。。

こういうことがあったのか、というのは映画を観るまでは考えてもみなかったことです。
この映画を作ってくれたから知れたし、
この映画が傑作だからこそ今まで残ってこれたし、
映画を観ることで知れるくらいのことは映画を観て知らなきゃな、と改めて思いました。

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◼️第2部 原爆投下

そして1945年。
夜中、空襲警報が鳴りそのまま解除されることなく一睡もできずに朝を迎える様子。
子供たちも日本軍か憲兵たちに厳しく指導、訓練、作業させられている。
戦中の厳しさはあるものの、全体的には田舎のちょっとほのぼのした描写も見られる。

そして朝8時15分。画面は一瞬真っ白に。
そこから18分に及ぶ、原爆が投下された直後の地獄絵図の映像化に精力を注ぎ、百数カットに及ぶ撮影を費やして、克明に阿鼻叫喚の原爆被災現場における救援所や太田川の惨状などの修羅場を再現された映像が続く。

百数カットなんですね。確かにすごいカット数。
18分で百数カットって普通ありえないですよね。。
それくらいすごい速さで原爆投下直後の様子をバンバンあらゆる事象を描いていく。

エキストラ約8万8500人の迫力がここでも。
人数がものすごい。
なんの誤魔化しもない。
圧巻なんですよ。

「原爆ってこういうことだぞ」というのを我々子孫に懸命に伝えようとした方々からの財産ですよ。
校舎が崩れて下敷きになって動けなくなった小学生3年生くらいの生徒たち。
教師も同じく下敷きになっているものの、生存していて声が出せる。

教師「声が出る者は名前を言え」と点呼をとる。
すると生徒たちが苦しそうに一人一人自分の名前を挙げていく。
キノコ雲の下には名もなき群衆があったのではなく、
一人一人名前があり
その名前は多くは親が希望を持って自分の子供につけた名前であり
それを瀕死の子供たちが自分の声で名乗っていく。

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科学者は「原爆の被害を受けたと公表しましょう」というけど
日本軍は「戦争遂行に不利になる」ということで公表に反対。
「戦争に不利になる言動は断じて許されない。」
こういう情報統制も現代日本で何度も起きてることだし、、もうほんとに。。
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◼️第3部 現代パート(1955年)

子供の頃、原爆の被害を受けて孤児となった遠藤。
8年経ち、親戚の工場で働き始めるものの
その工場が大砲の弾を作り始めたことで遠藤は工場を辞める。
観光で宮島に来た外国人観光客にある物を売ろうとしていた時に警察に捕まり事情聴取を受ける。

遠藤「僕が勤めてる工場がまた大砲の弾を作り始めたんです。僕はそんなもの作りたくなかったんです。
戦争はまた始まるんですか!
戦争が始まれば、今度は僕たちが戦地に引っ張り出されます!
そしてなんの恨みもない人間どうしで殺し合いをさせられるんです!
またなんの罪もない人たちが、
原爆で、
皆この通りになるんです!
昔の立派だった頃の日本を思い出すことは大変良いことだと思いますが、そうした国民の中の感情に隠れてまた誰かが戦争の準備をしているのではないでしょうか。」


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◼️ラストの行進

涙無しでは観れないんですよ、ラストの大行進。
1955年の広島市民の2万人くらいいるのでは?という大行進のシーン。

そして、命を落としたシーンを演じた俳優たちもむくっと立ち上がり肩を組んで歩き始めます。
その役の人物なのか、俳優そのものなのかがわからない。

この映画に出るということの相当な覚悟や信念があったはずなんです。
原爆で亡くなった方、苦しんだ方、苦しんでいる方の思いを自分の体に全部詰め込んで、行進している姿が胸に刺さります。

誰も何も言葉は発しないんですが、何を伝えようとしているのかはどんな言葉より伝わる。

『オッペンハイマー』に原爆の描写が足りないというのであれば
この映画観ればいいんです。観る人が増えればいいんです。