反省は色々ありますが
堀田茜さんが「私も勉強が苦手だなと思った時期があるので…」とおっしゃったときに
とっさに「僕もです」と言っちゃったけど
堀田さんは立教大学出身であり、まっったくレベルが違っていたことが反省よりもとにかく恥ずかしい。
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イラスト展『ヒャク展』開催前に、
知り合いのラジオディレクターさんから「個展の告知でラジオ出演しません?」と言っていただいたのに
俺がラジオにっっ!!?はぁ??と即座に「いやいやいやいや!」と断ったのが2009年。
あぁおれはこういうときに「やります!ぜひぜひ〜!」と行けないんだなぁ…と反省というか後悔というか自己嫌悪。
その7年後。「良かったら担当してる番組にゲスト出演してもらえませんか」と別の知り合いのディレクターさんから言われて、ぐちぐちネチネチと「全っっっっ然自信ないんですけど決っっっ死の覚悟でやります!」と重〜い返事をした結果ゲストの話が結局来なかったのが2016年。
その9年後。2025年。クリエポの2日目。2016年に声かけてくださったディレクターさんに再びDMで打診をいただき、驚愕してテンパりながらもさすがにこれはまっすぐ受けたいとすぐに短文DMで快諾。
幸い2025年の俺にはラジオのレギュラーを長年持っていた友達がいる!3週間後の収録までにいくらでも準備ができる!
できれば逃げたい。断わりさえすればこのストレスからすぐ解放される。父が一年の闘病の末え死に、仕事はめちゃ忙しく頭パンパン通り越してペンペンな状態で「ジェイウェーブニゲストシュツエン」というスリランカの首都スリジャヤワルダナプラコッテくらいに中盤から頭がついていけない状態に加えて、「堀田茜(敢えて敬称略)とサシで会話」という量子力学でも対応できなすぎる状況が数日後に来る!というストレス!
ラジオのレギュラーを持っていた友達から「全っ然大丈夫っ」という意味の言葉をあらゆるアプローチから言ってもらえたことで「やはり出演は辞退したいと思います…」というメールは送らずにすみ、
長年のラジオ制作者が「次のゲストはフクイヒロシに」と決断したのだから全っっっっ然理由はわからないけどまぁなんとかはなるんだろう、と。
収録数日前。台本をいただく。台本と言っても大量の箇条書きの質問事項と「フクイの自由回答欄」。
なんとなく自分の中で回答を想定しておくものの本番はぶっつけ。
しかも普段生活してる範囲内では「イラストレーター」もしくは「イラストレーターに慣れてる人」としか会話していないので、イラストレーターについてゼロの人から問われる質問の意味がイマイチわからない。。。回答の冒頭に「いやいや、だってそりゃぁ…」と前置詞をつけたくなってしまうものばかり。
イラスト・イラストレーターについてゼロの方と会話してイラスト・イラストレーターについてゼロの方々に聴いてもらう番組なのだ。
つまり、もう無理。想定ができない。
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当日。さすがに30分くらいは事前に打ち合わせするかと思いきや、スタジオに入ると堀田茜(敢えての敬称略)がもうすでに1人喋り部分の収録を始めている。
狭いブース。「フクイです。よろしくお願いします」の声も抑え気味になるほどの狭さ。
2分くらいで堀田さんの1人トーク部分の収録は終わり僕はブースに。
顔が小さくてキラキラしていて2キロ先の星みたいな堀田さんと挨拶をしてポートフォリオを手渡し2分弱くらいの打ち合わせというか会話をしたら収録スタート。
「もお?嘘だろっっ??」と思ってる間に前半終了。
「いやいやいや怒涛じゃん。。」と思ってる間に後半も収録終了。
とにかくずっと神経ビンビンで、堀田さんが何を話してそれに対して相槌打つだけでいいのかそれとも自由に話し始めていいのか何を話すことを期待されているのか。
僕は『SDGsとイラストレーター』ということならこれだろうなという題材は用意していたし、それについてならなんとか話せると思っていたのでそこではなんとか話せました。それは後半でした。
ちなみに堀田茜さんは永久に感じが良くて素敵でした…。
前半でまさかあんなに自分のことについて話すことなるとはまっったく思ってなかった。フクイヒロシの下積み時代(?)について話していい地上波ラジオ番組が地球上にあると思ってなかったから。
今ならわかる。ある程度自己紹介しなきゃその後の話もはいってこないんよね。そんなことさえもわかってなかった。中学の頃からのラジオ好きなのに。
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僕は三人きょうだいの末っ子。テレビのチャンネル権などない。
中1の時に買ってもらったCDコンポでラジオ人生スタート。テレビは無理だけどラジオなら自分で聴きたいものが聴きたい時に聴ける。テープに録音もできるし。
三宅裕司小俣雅子のガバッといただきベスト30伊集院光Oh!デカナイト中村正人のサンデーネットワーク斉藤由貴の猫の手も借りたい奥田民生のOH! MY RADIOなどなど。
日曜の午後はミュージシャンたちが30分ごとに番組を持っていてリスナーとしては忙しいことこの上ない。
バナナマンのバナナムーンゴールドでも爆笑問題のカーボーイでも一回メール読まれたことあります。ダイアンのよなよなも大好きでした。ラジオさんも聞いてます。
小山薫堂柳井真希のFUTURESCAPEでは名物リスナーとして、サーキットの女将とかあなたの肉野菜の六〇分の一くらいは名が通っていたかもしれない。
そして三谷幸喜清水ミチコのmaking sence。making senceでもメール読まれたことあるのは自慢かも。三谷さんに「日本語が下手」って言われたけど。この番組にもハマりにハマってたら突然の終了宣言に衝撃を受けて、making senceの番組ポストカードを勝手に描いて送ったことでディレクターさんが僕の個展に来てくれたのでした。それが今回のラジオ出演の初手。
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収録中、頭ずっとテンパってて「あー全然上手く喋れてないあーあーあー」と30分で収録終わって「全然喋れませんでしたよー」も話す時間もなくそそくさと帰らされて、正直「消えてなくなりたい」と思ったくらいにダメージを喰らいました。
収録から放送までの11日間。もしかしたらあまりに酷すぎてお蔵入りになるのかも…or なんとか編集マジックでやってくれるのかも!の天秤でゆらゆらしながら過ごしました。
たまたま放送日は「フクイの初福井県ひとり旅」。ちょうどえちぜん鉄道に乗っているときに放送開始。Air Podsを耳に刺して。
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色々謎が解けました。僕ってほんとに緊張やテンパりが表にでないんですね。「消えたい」と思ったくらいのトークだったんですよ。
かなり早口になっていたのは聴いていてわかりましたが、自分があんなにもテンパっていたのは自分で聴いていてもあまり伝わりませんでした。
僕は小学校の頃からなんとか長とかなんとか委員とかを押し付けられてきて、なぜ人間たちは俺に役割りを押し付けてくるんだろうと思っていたし、大人になってもそれが続いていたからきっとなんか「役割を背負わせても大丈夫な人」という雰囲気が出てるんだろなぁと諦めていたけど、今回でわかりました。
なるほど。とりあえず押し付けりゃなんとかやりきりそうな〝雰囲気〟がありますね、この喋り。
僕は僕の声をこれより 10倍くらい高い声として自分で聴いているしもっとふざけた喋り方をしてるつもりなんですが、、全然ですね、、なるほどね。みなさんはこの声をずっと聴いていたんですね。
僕はこんなにも長く時間の自分の喋りを聞いたのは初めてです。
「この人に仕事を頼んでも大丈夫だろう」という雰囲気を持っているのはフリーランスとしてこの上ない利点だと思うので
社会人吹奏楽団体とかでその力を使うのはもったいなくて、この能力を全部イラストレーターとして使いたい!と思って吹奏楽団やめてイラストレーターに集中して10年弱。
また自分の輪郭をひとつ自覚できました。
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地上波ラジオで自分が「ゲスト出演して長々と自分のことを喋る」という地球外生命体発見みたいな出来事なんですよ、僕にとっては。
有名になりたいとかキラキラしたいとか幸せだと思われたいみたいなことは本当にどうでもいい。
自分には起こるはずがないと決めつけているという自覚もなく決めつけていたことが起きてる。それも近年で数度。
とりあえず一段落。ふう。