戦時下の正気 映画『陸軍』(1944)戦意高揚国策映画

 陸軍(1944年製作の映画)製作国・地域:日本 上映時間:87分

監督 木下恵介 原作 火野葦平 出演者 笠智衆 田中絹代


 

四コマ映画『陸軍』



いやぁやはりキツかった戦意高揚映画。。

↑同じ原作者 火野葦平の『土と兵隊』『五人の斥候兵』も同様に戦意高揚の国策映画だったけど、
この2本は戦争の辛さをめちゃくちゃ描いているのでその点では楽に見れました。反戦映画として観ることもできるから。
(それが何故戦意高揚映画として機能し得るのかは↑上記リンクの記事に書きました)

ただこの『陸軍』は86分中76分間ずっとキツイ。。。
国民は国のために戦って死ぬのが名誉なのだと疑問も持たずにどストレートにガンガンはっきりとセリフで全員こちらに突きつけてくる。

「生きても死んでも戦争に勝つということはお国の喜びじゃ。うんと喜ばにゃならんな。戦死してくださった方も我々を喜ばそうとして死んでくださったんじゃ」

とか

「櫻木恒吉(息子)っちゅーのはどげんしたでしょうか…」
「馬鹿たれ!自分の息子のことばかり心配して!息子の1人ぐらい死のうが生きてようが何でもない!もっと男らしくせい!」

とかが延々と続く。。。キツい。。。



ていうかそもそも国策映画とは?

↑そもそも国策映画とは?については上記リンクの記事をお読みいただければと。



『陸軍』の公開は1944年12月。



同年3月にはインパール作戦。
同年10月には特攻隊による体当たり攻撃が始まり、
映画公開後1945年3月には東京大空襲。

特攻が行われるほどに戦況は悪化しており、さらなる戦意高揚を求めて国から依頼を受けて作られた映画のはず、とのこと。

陸軍 (映画) - Wikipedia ja.wikipedia.org

しかし監督の木下恵介はところどころ確かに「国と反対の意見言わせてる?」っていうシーンもある(それを言った人物はすぐに改心させられるが…)、し
映画史に残る名シーンである、ラスト約10分にも及ぶ出征する息子を涙を流して見送るほぼ無言のシーン。

喜んで息子を戦地に送らなければいけない時代感だったのに、母親が涙を流すとかなんたること!と
〝木下は情報局から「にらまれ(当人談)」終戦時まで仕事が出来なくなったと言われている。〟とのこと。

木下監督は相当な覚悟と意志を持ってこのシーンを作ったし、俳優やスタッフたちだってこれのヤバさはわかっていただろうから、監督と同じくらいの意志を持って演じ、制作したのでしょう。

大変残念なことに「新しい戦前」という言葉にリアリティを感じてしまう今。
1944年の「戦時下の正気」をこうやって後世にも伝えてくれた木下恵介監督と俳優とスタッフの意志を、2026年の我々も受け取り、さらには若い世代にも伝えていかなきゃと思いますね。

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メモとネタバレは以下に!






慶応2年(1866年)。

「藩のために死ぬのは我らの世代でおわりにせにゃならん
今はアメリカとイギリスが鬼の目鷹の目で狙っている
これからはもっと大きな大義を持たんとな」

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明治28年。

「生きても死んでも戦争に勝つということはお国の喜びじゃ。うんと喜ばにゃならんな。戦死してくださった方も我々を喜ばそうとして死んでくださったんじゃ」

父「友彦は何になりたい?」
息子「兵隊になりたいんだけど。実は陸軍士官学校を受けようかと」
父「そうかよく言った!それはええ。明治15年、天子様から賜った軍人勅諭。忠節・礼儀・武勇・信義・質素の五箇条。このありがたいお教えに応えまつるにゃやっぱ軍人になるのが一番近道じゃと思う」

「最後の言葉は、友彦立派な軍人になれと」by医者

明治37年。友彦は陸軍歩兵大尉に。

病気で戦地へ行けない友彦は友人に愚痴る。
友彦「俺なんてはよう死んだほうがよっぽどマシじゃ」
友人「ばか!何をいうか!」
友人は思わず声を荒げる。看護師の視線を感じて
友人「それでも軍人か。お前は病気さえ治ればまだ第一線に行けるだろう。お国に尽くすことはまだまだこれからたくさんあるんじゃ」

***

「あんたが本当の日本人なら日本が負けたなんていうことは恥ずかしくて口には出来んはずじゃ」
「本当の日本人とは何ですな!あたしゃ日清の時も日露の時も…!」

***

「櫻木恒吉(息子)っちゅーのはどげんしたでしょうか…」
「馬鹿たれ!自分の息子のことばかり心配して!息子の1人ぐらい死のうが生きてようが何でもない!もっと男らしくせい!」

***

「いま日本で戦友でないもんは1人もいない!」
「ありがたいこってす」

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「戦争だから死ぬるっちゅーことは当たり前じゃ。ただ死ぬだけじゃいかん。死んで己が名を残そうだという小癪な考え方はいかんぞ。名を殺し、己を虚しゅうしてひたすら大君に捧げ奉らなきゃ兵隊としての甲斐はなかっぞ」

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翌日、息子が出征することに。息子は母(田中絹代)の肩を叩く。弟も父の肩を叩く。一見温かい日本の良き家庭のシーン。
しかし、もう田中絹代はここで若干放心状態になっている。
今まで散々兵隊になって欲しい戦地に行って欲しいと願っていたが、いよいよそれが明日になり、肩を叩かれている間顔を伏せてしまう。

翌朝。出征の日。
1時間16分目から田中絹代のアップ。
軍人勅諭。忠節・礼儀・武勇・信義・質素の五箇条を唱える。

近所の奥さんには「私は泣いてしまうから見送りはいかない」と言っていたが、いやいやいやいやって感じで走り出す。

旗を振る群衆を掻き分けて行進する若き日本兵たちの中に息子の姿を探す。見つけて近づく。
約10分の、映画史に残る名シーン。
ほぼセリフなく母は出征する息子を追いかける。目から涙。
ラスト。母は息子の背中内手を合わせて何かを願う。何を願ったのか。
おそらくこの時代には決して口に出してはいけなかった「生きて帰ってきて」だろう。