プロンプト「映画誕生の歴史(女性映画監督アリス・ギイ、ルイ・ル・プランス)あたりからカラー映画の誕生あたりまでを8分!」

 「映画って、いつ生まれたと思いますか。

よく答えとして出てくるのが、1895年12月28日、パリでリュミエール兄弟が映画を上映した日です。

でも実は、映画の歴史を調べるほど、この「映画の誕生日」は曖昧になってきます。

なぜなら、映画というものを、

「動く映像を撮影できた瞬間」

と考えるのか、

「大勢の観客がスクリーンで見た瞬間」

と考えるのか、

「映像を使って物語を語り始めた瞬間」

と考えるのかで、最初の人物が変わってしまうからです。

BFIも現在は、映画を一人の発明家がある日突然発明したものとして考えるのは正確ではない、としています。

そこで、まず1888年まで戻ります。

フランス人の発明家、ルイ・ル・プランスです。

彼がイギリスのリーズで撮影した『ラウンドヘイの庭の場面』が残っています。

庭で男女4人が歩いているだけ。

ほんの数秒です。

でもこれが、現在残っている映画フィルムとしては最古級のものです。Science Museum Groupには、1888年10月に撮影されたオリジナルの紙ネガから、1930年代に複製された20コマが保存されています。

つまり、リュミエール兄弟より7年も前に、人間が歩いている姿を連続写真として撮影していた人がいた。

しかもル・プランスは、この技術を公に披露しようとしていました。

ところが1890年、公開実演をする直前に、突然行方不明になります。

何が起きたのかは現在も分かっていません。

結果としてル・プランスは、自分の発明を広く世間に知らしめる機会を失いました。

その間にアメリカでは、トーマス・エジソンの研究所でウィリアム・K・L・ディクソンらが映画装置を開発していました。

1891年にはキネトスコープの原型が実演され、1894年になると商業化されます。

ただし、これは映画館ではありません。

箱を覗き込んで、一人ずつ小さな動画を見る機械です。

いま考えると、大スクリーンよりむしろスマートフォンに近い映画の始まりだった、と考えると面白いですね。

そして1895年。

ここでリュミエール兄弟が登場します。

彼らのシネマトグラフは、撮影機であり、映写機であり、フィルムのプリンターでもあるという非常に優れた機械でした。

1895年12月28日、パリのグラン・カフェで有料上映を行います。

『工場の出口』など、50秒ほどの短い映像を観客が一緒に見る。

これが後世、「映画誕生の日」として語られるようになりました。

ただし、ここにも面白い訂正があります。

リュミエール兄弟が世界で初めて有料の映画上映をした、というのも厳密には違います。

アメリカでは1895年5月にアイドロスコープによる有料上映があり、ドイツでは11月にスクラダノフスキー兄弟がベルリンで映写を行っていました。

つまりリュミエール兄弟の功績は、「誰よりも早かった」というより、優れた装置と映画を使って、映画という文化を世界へ広げることに成功したところにあるんです。

そして、そのリュミエール兄弟の登場からほとんど間を置かずに、ものすごく重要な女性が現れます。

アリス・ギイ。

当時、彼女はゴーモン社で秘書として働いていました。

映画がまだ「工場から人が出てくる」「列車が走ってくる」といった、現実を記録するものとして使われることが多かった時代に、

「これでお話を作ったらいいんじゃない?」

と考えた人物の一人です。

そして1896年ごろ、『キャベツ畑の妖精』――**『La Fée aux Choux』**を制作したとされています。

キャベツ畑から赤ちゃんが生まれてくる、という短いフィクションです。

現在のBFIも、ギイを1896年からフィクション映画を開拓した人物として紹介し、しばしば「最初の物語映画」の監督として位置づけています。

ただし、ここも映画史らしく少しややこしい。

1896年版は現存しておらず、現在見ることのできる『キャベツ畑の妖精』は後の版です。そのため、本当に最初の作品が1896年だったのかについては研究者の間にも議論があります。BFIの過去の研究記事でも、この年代について疑問が提示されています。

でも重要なのは、

映画が生まれた瞬間から、女性がその中心にいた

ということです。

映画史をリュミエール、エジソン、メリエス、グリフィス……と男性だけで覚えてしまうと、ここが完全に抜け落ちてしまいます。

そしてほぼ同時期、もう一人とんでもない人物が現れます。

ジョルジュ・メリエス。

もともと舞台の奇術師だったメリエスは、映画を「現実を記録する装置」ではなく、現実には存在しないものを見せる装置として使い始めます。

人間を消す。

突然別のものに変える。

二重露光をする。

巨大なセットを作る。

そして1902年には『月世界旅行』。

あの、ロケットが月の顔の目に突き刺さる映画です。

リュミエールが、

「世界を撮る」

方向を大きく広げたとするなら、

アリス・ギイやメリエスは、

「世界を作って撮る」

方向へ映画を進めた、と考えると分かりやすいかもしれません。メリエスはジャンプカット、消失、重ね撮りなどを駆使した初期特殊効果の代表的な開拓者でした。

そしてここから、今日のゴールであるへ行きます。

実は、

「昔の映画は白黒で、ある時カラー映画が発明された」

というイメージも、少し違います。

映画が誕生してすぐに、人々はもう、

「これ、色を付けたい」

と思っているんです。

最初は単純です。

完成した白黒フィルムに、人間が手で色を塗る。

さらにフィルム全体を染めるティンティング、薬品で色調を変えるトーニング、型紙を使って色を塗るステンシルなど、さまざまな方法が使われました。

National Science and Media Museumの年表では、動画への手彩色は1897年には始まっています。

だから1902年のメリエス『月世界旅行』にもカラー版があります。

ただし、カラーで撮影したわけではありません。

白黒フィルムの一コマ一コマに色を付けている。

それでも観客にとっては立派なカラー映画だったわけです。『月世界旅行』の当時のカラー版は長く失われたと思われていましたが、1993年に発見され、後に復元されました。

では、「本当に色を撮影した映画」はいつなのか。

ここでエドワード・レイモンド・ターナーというイギリス人が登場します。

1899年、ターナーとフレデリック・マーシャル・リーはカラー映画の方式を特許申請します。

赤、緑、青のフィルターを通して連続して撮影し、それを再び組み合わせてカラー映像を作る。

そして1901年から1903年ごろ、ターナーは自分の子どもや金魚などを実際に撮影しました。

このフィルムが2012年に復元され、現在では知られている限り最古のカラー動画とされています。

上に出ている、庭にいる女の子のカラー画像。

あれが1902年ごろなんです。

驚きませんか。

映画誕生からまだ十数年しか経っていない。

ただ、ターナーの方式は複雑すぎて、商業化には向きませんでした。

そこで技術を引き継いだチャールズ・アーバンとジョージ・アルバート・スミスが、もっと単純な赤と緑を使う二色方式を開発します。

それがキネマカラー

1909年にロンドンで一般公開され、世界で最初に商業的成功を収めたカラー映画方式になります。

その後、1910年代からテクニカラーの開発が始まります。

初期のテクニカラーも二色でした。

そして1932年、赤・緑・青の三色を使う3ストリップ・テクニカラーが実用化されます。

1935年の『虚栄の市』――**『Becky Sharp』**が、この方式を全編で使った最初の長編映画になります。

ここまで来ると、私たちが想像する「カラー映画」の世界です。

だから映画史の最初の約50年をものすごく乱暴にまとめると、

最初は、

「写真を動かせないか?」

だった。

それがすぐ、

「みんなで見られないか?」

になり、

アリス・ギイたちが、

「これで物語を作れないか?」

と考え、

メリエスが、

「存在しない世界まで見せられないか?」

と考え、

そしてほとんど同時に、

「色まで付けられないか?」

と考える。

人間、映画を発明した途端にものすごく欲張りなんです。

1888年、ル・プランスが庭を歩く人を数秒撮影してから、わずか半世紀足らず。

映画は、

動く写真から、物語になり、幻想になり、色のある世界になった。

そして面白いのは、この歴史の最初から最後まで、

「映画を発明した人」は一人もいないことです。

ル・プランスもいる。

ディクソンもいる。

リュミエール兄弟もいる。

アリス・ギイもいる。

メリエスもいる。

ターナーもいる。

映画って、誰か一人が完成品を発明したものじゃない。

世界中の人が、まだ名前すら定まっていない新しい遊び道具を手渡ししながら、「じゃあ次はこんなことできるんじゃない?」と50年くらい遊び続けた結果、今の映画になった。

そう考えると、「映画の誕生」って、一日ではなくて、何十年も続いた誕生だったのかもしれません。」